16 ミッチェルズ・フォルド

          チャーブリー町の教会内、雌牛の伝説を描いた彫刻 (H. Sykes に依る)

 コンドン丘(Condon Hill)に続く丘陵の荒野(ムーア)には、巨大な雌牛が住んでいました。誰の所有かは不明です。巨人のものだったとか、妖精が連れてきたとか噂されましたが、村の人にはわかりませんでした。実はそんなことはどうでも良かったのです。村人にとって重要だったのは、雌牛が、欲しい人には誰にでも乳を搾らせてくれることでした。作物が不作の時などは特に、巨牛は大いに感謝されました。
 ある日、どこからか魔女がやって来て、小桶の代わりにフルイ(篩)を使い、搾るわ、搾るわ、散々乳を搾りました。容器がフルイですから、どんなに入れても、入れるそばから目を抜けて外に溢れ出てしまいます。ついに雌牛は耐えかねて、どこへともなく姿を消してしまいました。すると、その魔女にも異変が起きて、たちまち石になってしまったのです。逃げようとする魔女石を塞ぐように、周囲には見る見るうちに囲いのような石の輪ができてしまいました。
 雌牛の行方は知れませんでしたが、噂によると、隣州のウォーリックシャー(Warwrickshire)、 ダンチャーチ町Dunchurch)でダン・カウ(Dun Cow)と呼ばれる牛ではないかと、囁かれていますが、真偽のほどは闇の中。

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所在地:   シュロップシャー(Shropshire)、ミドルトン村(Middleton)近くの丘陵。

建造年代:  青銅器時代初期 (紀元前2000~1200年)

構造: サイズ:  楕円形で、直径27.1m~25mほど。
    巨石数:  元約30個、現在15個 (高さ30cm~190cm)
    岩石:   北東方向にある最寄りの丘(Stapeley Hill、海抜330m)から搬送した粗粒玄武岩。


附記: 現在、イングリッシュ・ヘリテッジの管理下だが、過去に相当人為的に荒らされた形跡あり。紛失、破壊、横倒しの石も多い。中央にあったと伝えられる石はすでに無い。
 呼称のミッチェル (mitchell) は古期英語 micel または mycel (=big)が由来。foldは「家畜の囲い」の意で、
この界隈のストーンサークルとしては、大きいサイズとの印象を与えたようだ。当地周辺は、先史時代の活動が
活発だった。近くには斧製作所跡が見つかり、墳墓、ケルン、さらに2つのストーンサークルも確認されているが、そのうち1つのサークルは壊滅し失われた


<余録> 
 ミッチェルズ・フォルドの雌牛の伝説は、近くのチャーブリー町(Chirbury)の地区教会に彫刻があるので、見ることができる。石柱の飾り冠 (capital) の彫刻がそれ。記録によると、この作品は1879年の作で、牧師のブルースター師 (Rev. Waldegrave Brewster) の手になるもの。
 ここで疑問が湧く。この彫刻は、伝説をベースにして彫られたものなのか。それとも、この彫刻があまりにも上手に仕上がっていたので、伝説が生まれたのか。 検証するすべは無い。

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<参考資料>
"Mysterious Britain", H. Sykes, Weidenfeld and Nicolson (1993), London.
“Mitchells Fold Stone Circle”, (https://www.english-heritage.org.uk/visit/places/), Retrieved 30 March 2020.

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