11Eピカデリーサーカス

                                                    J.ウッド執筆エッセイの挿絵 「ブラダッド」1749

<寄り道コラム> ストーンヘンジからピカデリーサーカスへ

 

バースの起源説   

 古代ブリトン国の王ブラダッド(リア王の父)は、若い頃ギリシャを
訪れた折にハンセン病を患ったもので、帰国後、宮廷から追放の身となり
ました。
 密かに、辺鄙な田舎(後のバース)で隠遁生活を送ることになりました。
豚の放牧をして暮らしていましたが、ある日、何頭かの豚がドングリを拾おう
として、泥で濁った泉池に入るのを目撃しました。皮膚病の豚が池から出て
くると、目に見えて病状が改善していたではありませんか。もしやと思い、
自身も湧き湯につかるうち、ほどなく病を完治させることができました。
 のち、ブラダッドは修行のため小アジアに渡り、ドルイドとしての修行を
して能力を磨いて帰英し、王の座に就き、名君となったとのことです。
 晩年は魔術に取り憑かれ、自作の翼で飛行を試みましたが、失敗して命を
としてしまいました。これが、温泉町バースの起源伝説で、ブラダッドは
バースの開祖として崇められています。

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附言:   ブラダッド王やリア王を含む古代ブリトン国についての原話は、モンマスのジェフリー著『英国国王
列伝』に依拠しているのは事実だが、ハンセン病への罹患やドルイド修行の部分は、15~16世紀の加筆であろう。
そもそも史実とは認められない話材ではあるが、場当たり的な編纂者の意図が覗える。

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1. ジョン・ウッド(1704~1754): 誤解とこだわりが生んだ建築ファッション

 現在世界遺産登録されているバースは、鉱泉のお陰で発展した谷間の町。 イギリスでは温泉地はめずらしいので、薬効を求めて湯治や温泉ドリンクに人々が集まったことが町の隆盛を築いた。古代ローマ帝国の属国時代にエイボン川の河畔から湧き出す温泉がローマ人の目に留まったのが事の始まり。先進ローマ文明の栄華そのままに、神殿や公衆大浴場を建造して、第一期繁栄時代を作り上げた。5世紀にローマ軍撤退後、戦乱や暗黒の年月を重ねるうちに、レンガの町はいつしか瓦礫の山と化してしまう。
 バースが再び繁栄を取り戻したのは、18世紀のジョージ王朝時代。健康志向に押されて温泉が流行となったからだ。町はインフラの整備に忙殺され、民間デベロパーによる宅地造成や娯楽施設の拡充も追いつかぬ開発テンポの有様だった。近くに蜂蜜色のバースストーンの採石場があったのが幸いし、建築ブームはバースの街を明るく華麗な淡黄色の石造集落に変身させた。

 意欲的な建築家ジョン・ウッドがバースに里帰りしたのは1727年のことだった。彼はロンドンで流行し始めた宮殿風集合住宅の新企画を持っていた。このトレンディーな建築デザインは、新バースにピッタリだった。
 ウッドの建築コンセプトはドルイド信奉の上に醸成されていたフシがある。18世紀前半にはロマンチシズムの風潮から、ドルイド僧を美化する傾向があった。ストーンヘンジは古代ドルイド僧の集う大本山だったとの説が流布すると(12B「ドルイドの神殿」参照)、ウッドもそれを信じた一人だった-----これが第1の誤解。彼は、熱心に
ストーンヘンジやスタントンドゥルー(11参照)の測量を行い(1740年頃)、ストーンヘンジやサークルは異教徒の祭祀の場であったと推論した。 今から思えば、現代の解釈にも一部通じるもので、ウッドの鑑識眼は確かだった。だが、残念なことに、当時は前述のステュークリー師の社会的影響が絶大で、原始キリスト教長老ドルイド観にウッドのドルイド異教説は押しつぶされてしまった。(余談だが、ウッドの残したストーンヘンジの測量図や数値は、1958年の一部復元に大きな役割を果たしたのは幸いな事だった。)

バースのキングズサーカス:三方に道路のある都市集合住宅
     (source: www.amusingplanet.com.)


 

 

 さて、誤解とは言え、ウッドのストーンヘンジへのこだわりは半端ではなかった。ついに、ストーンヘンジの石輪とほぼ同じ直径30mの丸い中央スペース(道路を含めて)を持つ円形建築「キングズ・サーカス」を設計した。 残念なことに、彼は工事の完成を見ずに他界したため、息子が父の偉業を継いだ(1767年完成)。 これは、ローマの円形闘技場コロシアムを連想させるタウンハウスである。 各戸地下1階、地上3階の楔形のユニットが総勢30軒、弧状の3棟に分けて収容されている。
 余談だが、「サーカス」命名の経緯は? 本来は、片方にヘアピンカーブのある古代ギリシャ・ローマの競技場のことだ。ところが、ラテン語が英語に取り入れられた頃に、ウッドを含めて当時の人々が、サーカス=円形闘技場と誤って
認識していたためだろう。これが第2の誤解だ。

2. ジョン・ナッシュ(1753~1835): 創造的柔軟性と政治力が結実させた都市再開発

   自由通行可能な頃のピカデリーサーカス
     (絵葉書 © J. Salmon Ltd.)

 19世紀初めのこと、ロンドンの北部郊外の広大な土地が、ある
貴族から国王に返還されることとなった。希有な機会を逃さずに、
別荘や景観庭園の点在する公園を造成する企画が本格化した。現在
のリージェントパークである。 しかもその公園と摂政皇太子
(Prince Regent) の宮殿のあるロンドン中心部のセントジェームス
を結ぶ主要道路を整備する計画が浮上した。時の国王ジョージ3世
精神障害のため、皇太子が摂政 (regent) として国政に当たって
いたので、皇太子の権威は国王と同等であり、その権勢は王さえも
凌いでいたと言われた。
 この頃ジョン・ナッシュは生涯最高の地位に就いていた。ウッド
と正反対の性格で、一つの事にこだわり過ぎず、臨機応変に最良の
スタイルを柔軟に組み合わせ、ピクチャレスクな作品を生み出す技
に長けていた。幾つかの幸運が重なり、ナッシュは皇太子お抱えの
建築家として、また建設庁高官の公職にも就き、公共事業の指揮を執っていた。 

                                                路面に円形模様のあるオックスフォードサーカス
                                                    (source: www.flickr.com/)


 さて、リージェントパーク設計に当り、ナッシュはウッドのモチーフ
を幾つか借用し、統一のとれた大公園デザインの創出に成功した。前述
の主要道路はリージェントストリートと呼ばれることになり、ここに
サーカスのモチーフを採用している。本来の四角い辻を円形に設計し、
真中に小島のような待避所を設けた。人や乗物は方向性の無い円形の中で、
自由自在に好きな方角へ動くことができる。恐らく、ナッシュの意図した
のは、このような解放されたスペースの実現にあったのだろう。

 ところが事態は設計者の意のままには運ばなかった。交通量の増大に
対処するには、秩序が樹立が必要だ。 やがて右回りのターミナル
(roundabout) 形式に交通の流れが整頓されてゆく。回転式通行方法は、
ヨーロッパ大陸の模倣であったかもしれないが、それを採用したのは警察
当局のお手柄だ。かくしてリージェントストリートには2つのサーカスが
造られた。北のオックスフォードサーカスと南のピカデリーサー カス。
だが、都会の急激な交通量の増大に対処しきれずに、サーカスは名のみで、円形構造を放棄してしまった

 時は流れ21世紀。スクランブル横断方式がオックスフォードサーカスに導入されている。皮肉なことに、
ナッシュの意図した解放されたスペースが200年後に再び実現されている。青信号のわずかな時間だが・・・。

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<参考文献・資料>

Geoffrey of Monmouth, The History of Kings of Britain, Penguin Classics (1988 reprinted), Penguin Books, London.
John Summerson, Architecture in Britain 1530-1830, Penguin Books, London, 1983..
Tim Mowl & Brian Earnshaw, John Wood: Architect of Obsession. Bath, Millstream Books, 1968.
Stuart Piggott, The Druids, Thames & Hudson, London, 1968.
“John Wood, the Elder” (https://www.en.wikipedia.org/wiki/John_Wood_the_Elder) Retrieved June 15, 2020.
“Legendary Bladud: The flying King and Historical Founder of Bath, England” (https://www.ancientpages.com/2016/03/08 )
   Retrieved June 15, 2020.

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