11Cストーンヘンジ「ドルイドの神殿」

               ステュークリー著「ストーンヘンジ」の挿絵より (1740年出版)

ステュークリー師のドルイドの神殿


 小生の名はウィリアム・ステュークリー (William Stukeley 1687 – 1765)。若い頃、医学を志し、ケンブリッジ大学で学位を取得しました。1717年ロンドン上京後、転機が訪れました。30歳の時、オックスフォード大学の
ボードリン図書館所蔵になるジョン・オーブリー先生 (John Aubrey 1626 – 1697) の手記、『英国の遺跡』(Monumenta Britania) の第一部『ドルイドの寺』(Templa Druidum) の調査資料を拝謁して、いたく感動しま
した。ストーンサークルなどの巨石遺構の建造者は、実は、進駐軍のローマ人ではなく、さらに古い我国先住民
ブリトン人の神官と言われるドルイドだったとの説は、何とも衝撃的でした。

 ドルイドについてさらに深く知ることになったのは、1721年に小生が正式にフリーメイソン (Freemason) に
なってからであります。フリーメイソンは、ドルイドと共通するスピリチュアルな傾向が極めて強い社交的封鎖的
な結社です。その頃小生は、哲学的・宗教的な分野への希求が強くなり、1729年には、聖公会(英国国教会)の
聖職者の資格を取得し、キリスト教の信仰に深く係わるにつれ、驚くなかれ、ドルイドこそが原宗教、つまり原始
キリスト教の教えに携わり、我国の礎ともなったことが分かりました。それから、ほぼ20年間に亘って、小生は
各地の巨石遺跡を巡り、現地調査をしてきました。詳しくは1740年出版のストーンヘンジ研究をご一読ください。

 では、順を追って、ドルイドが各地の巨石建造物を礼拝所として建てた経緯を説明しましょう。読者はフェニ
キアという近東の地中海沿岸にあった古代国家をご存知でしょう。フェニキア人は誠に偉大な民族でありました。
フェニキア語は、英語をはじめ後世の数々の言語の祖になり、またアルファベットのルーツともなりました。
聖職者としての小生が最も重要と考えるのは、原始キリスト教である「アブラハムの宗教」です。いうまでも
、純粋な信仰心の発露である「アブラハムの宗教(家父長的キリスト教)」は、その後、偶像崇拝に堕して
しまい、神を恐れる純真な信仰心を失ってしまいました。 堕落した人間社会は、救世主キリストの出現で、
真性が回復されたのは、幸いなことでした。ところが、昨今のヨーロッパで吹き荒れる宗教改革による社会の
動揺は、小生が現在最も憂えるものです。今こそ忘れ去られている本当のキリスト教精神を呼び戻す時です。
それには、原始キリスト教の祭司、ドルイドに学ぶところが大きいと言えます。

 大昔、ノアの洪水の後、ノアの子孫であるフェニキア人が、「アブラハムの教え」を携えてブリテン島に移住
して植民地を築き、英国の始祖となりました。つまり、フェニキア人はケルト人の祖先であって、アブラハムの
教えを元にドルイド教という宗教を創始したのであります。従って、ドルイド教は原始キリスト教そのものです。
各地に巨石を用いて礼拝所(ストーンサークル)を造ったわけですが、ストーンヘンジは大規模であり、中枢的な
神殿でありました。

 建造に際し、ドルイドが数々の工夫をしたのは明らかです。基本中の基本としての尺度ですが、「古代尺」
(cubit、肘から中指の先端までの長さを単位とする。50㎝内外で45 ~56 cmと考えられる) を用いました。
この尺度はエジプトやフェニキアで使われた尺度とほぼ同じです。さらに、建造に当たっては、ある種のコンパス
(方位計)を使用したと推察されます。というのも、ストーンヘンジの設計上の基軸と天体の事象がぴったりと
一致しているのです。そこで、この天体事象を根拠にさらに考察を加えて、ストーンヘンジの建造年を、紀元前
460年との結論を得ました。

 ドルイドはストーンヘンジの中で、宗教儀式を執り行いました。小生は、測量はもちろんのこと、現地調査を
入念におこないましたところ、客観的な観察の必要上、遺跡の主だった巨石に名称を与える必要を感じ、僭越ながら以下のように名を与えました。円形土塁ヘンジの入り口にある4柱の石は、「門柱石」(Portal Stones)、中央輪の
中の馬蹄形を成す一連の鳥居状のユニットを「トリリソン(三つ組み石)」(Trillithon)、そのトリリソンの中央
外側にポツンと一つある石は「主祭壇」(Altar Stone)、また、出入り口近くの横倒しになった傷の多い石は、犠牲
となる人・動物を屠殺する台と考えられるので、「屠殺石」(Slaughter Stone)と呼ぶことにしました。ついでながら、土塁の円周に近い所で、オーブリー先生が発見した一対2個の穴の跡 (現在、Aubrey Holes とよばれるもの)
ソロモン神殿の例にもあるように、恐らく聖水を容れる大きな瓶を埋め込んだ跡でありましょう。このように、
名称を与えることで、ドルイドの祭儀の様子がさらに明確に伝わることでありましょう。小生の業績を誇るわけではありませんが、小生が名付けた上記の呼び名は広く流布し、末永く世界で使われることでしょう。誠に鼻の高いことであります。

 なお、昨今の人々による心無い巨石の破壊や、野生動物の繁殖なども軽視できず、国家のため、遺跡の将来を憂えるものであります。環境保全の必要性を強く訴えます。 (筆者再話)

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<参考資料>

"Stonehenge: A temple Restored to the British Druids",by William Stukeley [1740], sacred-texts.com, Retrieved 9 May 2016.
"The Druids", Stuart Piggott, Thames and Hudson (1989), London.

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