王と軍勢と騎士の伝説
昔、昔のその昔、まだイングランドが統一されず、国盗り合戦に
忙しいころのこと。天下取りの野望に燃えたデーン人の王様ロロが、
隣国を攻め取ろうと、精鋭の軍勢をヒタヒタと押し出していた。
目指すは、コッツウォルド丘陵のとある小高い要所。そこからは
眼下に敵陣営のロングコンプトン(Long Compton) の村全景が、
手に取るように見渡せた。そこから一挙に攻め込む奇襲作戦を目論
んでいた。
ところで、この大事に当たって、王には気がかりなことがあった。
隣国に密かに通じている間者が側近の騎士の中にいるらしいとの諜
報を受けていたからだ。心無しか、時折、数人の騎士が額を寄せ
合い、何やらヒソヒソ話をしているように思えた。そんな一抹の不安
はあったものの、またとない好機を見逃す手はなかった。
邪念を振り払い、攻撃の決意を固めた正にその時、うっかりと、王は魔女の所有地に足を踏み入れてしまった。すると王とその軍勢の前に魔女が現れ、謎めいた予言を垂れた。その口上は・・・
棒、株、石にて占おう
ここより、七歩、歩み出で
汝、眼下に村を眺むれば
英国王となりぬべし
それを耳にした王は、我が意を得たりとばかりに、その予言に乗ることにした。歌読みに心得のあった王は、
すかさず返歌を詠んだ。
棒、株、石にかけて誓っても
楽々村の眺めして
我、英国王となり申さん
戦わずして天下取りができるとは何たる幸運! 喜び勇んだ王は、魔の七歩に挑戦した。一歩、二歩、三歩・・六歩、崖近くまであと一歩の所に接近し、七歩目を踏み出そうとしたその時、突然目の前の地面がムクムクと盛り上がり、築地が出来て、王の視界を遮ってしまった。村の遠景どころか、王の鼻先には土の壁があるのみ。したり顔の魔女は、次の一手に出た。
村の眺めを望めずば、
汝、英国王とはならじ
棒よ聳え立て! 石よ固まれ!
側近、軍勢、汝ら一同、永久に石と化し
我もニワトコと成り、見張りとならん
王はその場で棒状の直立石となってしまった。そして77名の兵卒は、円形に集結した場所で、ストーンサークルと化し、さらに背後では、数名の騎士たちがヒソヒソと陰謀を企んだまま、櫓のような組石とされてしまった。当の魔女は、王と兵卒を分けるかのように、その中間に自らニワトコの大木に化身し、魔法が解けないように巨石を見張り続けている。
********************************************************************************
所在地: ウォリックシャー及びオックスフォードシャー、リトルロールライト(LittleRollright) の
北の村はずれにある。
遺構群は、コッツウォルズ丘陵の真只中にあって、丘の中腹を走る古道(間道)沿いにある。
狭いながらも間道の周囲だけは、わずかながら平坦であるが、道の両脇はすぐに、北西側(上図の
ウォリックシャー側)はきつい下降傾斜となり、南東側(上図のオックスフォードシャー側)
は、丘の峰々へとなだらかな上り傾斜となっている地形。
構造
キングストーン: 石灰岩の単独立石。高さ2.5m、幅1.5m。
(ただし、相当削岩されているので、元の形は不明)
初期~中期青銅器時代。(紀元前1800年~1500年)の造成。
王の軍勢ストーンサークル: 石灰岩。77個残存。元は80個。
サークルの直径32m。サークルを形成する石灰岩は風雨に晒されて虫食い穴の
ように小穴が無数に開いている。個々の石のサイズに差異がある。概ね1.2m以下。
元は土塁の外側に壕らしきものが在った気配だが、ローマ時代に闘鶏場として使用
する目的で、平坦に造成されたことが1986年の発掘で判明。
新石器時代後期(紀元前2500年頃~)の造成。
謀反の騎士ドルメン: 4本の支柱と1枚の冠石の計5個の巨石から成る墳墓跡。
巨石は各1.5m~2.5m。新石器時代初期(紀元前3800年~3500年頃)の造成。
本来石組みの上に土盛りがあったはずだが、現在露出したまま。
笠石(冠石)は落下している。4本の支柱石は、もともと上部が内側に傾いていて、
あたかも額を寄せ合って密談でもしているかの印象を与える風体から、「ヒソヒソ
話しをして、王への反逆の陰謀を企んでいる」側近達に例えられて、現在の名称が
つけられた。
**********************************************************************************
附記:伝説の形成過程
王や軍勢、側近らが石化した伝説は、いつ頃形成されたのか。 また、言い伝えが変化した可能性はあるのだろうか。 以下は主としてオーブリー・バール氏の資料
”Great Stone Circles” に依拠して、簡潔にまとめてみたい。
1610年出版のカムデン著『ブリタニア』(年鑑のような地誌紹介本)によると、キングストーンは、ロロ王が戦勝記念碑として建立したとの記述がある。勿論誤りだが、当時の科学的知識はそのレベルだった。
それから、50年後(1660年代)には、急転直下、ロロ王が魔女により石にされた話になった。一体何が起きたのだろうか? その50年間は、社会情勢が急激に変化した時代だったのだ。ヨーロッパ大陸で、ルネッサンス期が成熟した後、宗教改革の波が起きた。キリスト教原理主義のようなカルヴィニズムの広がりが英国に達し、ジェームスI世の治世(1603–1625)に異端迫害の矛先が「魔女」に向けられた。魔女の存在を作り上げたのは迫害のための口実だった(自らも信じていたかもしれない)が、無知で神を恐れる民衆への理由付けには上首尾だった。この傾向は、清教徒革命(1649年)を経て共和制の時代(~1660年)にも引き継がれ、厳格性はさらに増した。
王政復古後1675年、J.オーブリーが現地調査をした折、村人から俗謡を聞いた。その唄の初めは、王様自身が発したセリフになっていた。
When Long Compton I shall see,
Then King of England I shall be. 「我、ロングコンプトン村を眺むれば、英国王となり申す。」
一人称の“I”が明記され、王自身の固い決意を伺わせる発言だ。
さらに半世紀後、魔女説話が広範に根付くと、それに呼応するかのように俗謡の歌詞に微妙な変化が生まれた。
When Long Compton thou shall see,
Then King of England thou shall be.「汝、ロングコンプトン村を眺むれば、英国王となりぬべし。」
イングランド王になる予言をしたのは、魔女であり、魔女が王を誘導する筋書きとなる。かくして、王とその軍勢は冷たい石とされた。
では、魔女がニワトコ(elder tree) に化けた件は、いつ頃付け加えられたのか。それは、17世紀半ば過ぎに
ニワトコの生垣が植えられたことと関係がありそうだ。そもそもニワトコには薬効があり、古来より治療に使わ
れてきた。そのせいで、薬草と因縁のある呪術にも利用され、魔女の木とされてしまった。コッツウォルズのこんな片田舎にも魔女狩りは波及して、ストーンサークルが魔女集会の地だとの風評も広まった。
ただ、地主がニワトコを生垣に選んだのは、故意が偶然か? 単に耐久性を追求したためだったろうか。
余録: 風評の広まり
ロールライト・ストーンズについては、先に紹介した有名な伝説の他に、数多くの俗信が尾ひれのようにくっついている。主だったところを紹介しておこう。
▨ 「削った石片は魔よけや、幸運のお守りになる。」
キングストーンを訪れる善男善女が、側面を削り取って持ち去ったため、王の石は、身をくねらせるような形
のねじれた姿にスリム化してしまった。一般市民のみならず、例えば、戦場に赴く兵士がお守りとして身に
着けたり、市場に出すためにウェールズから牛の群れを追ってここを通過する牧童らは、常連で、必ずここに
立ち寄ったとのこと。
ついに、業を煮やした所有者や遺跡保存支持者からのアドバイスもあって、1883年キングストーンの周囲に
鉄柵を設置した。近年、「謀反の騎士」墳墓も鉄柵に囲まれるようになり、遅きに失した感もないではない。
▨ 「石を動かすのは不吉で、不幸をもたらす。そうでなくても、自ら元の場所に戻ってしまう。」
近くの農場の農夫が、建材に用いようと思いつき、24頭の馬に曳かせて持ち去ったは良いが、夜中に耳をつん
ざく様な大音響を立てて抵抗しているようだったので、気味悪がった農夫は、元の場所に戻すことにしたとこ
ろ、たったの2頭で易々と運び戻すことができた。(実は、キングストーンを移動したとの形跡は、学術的調査
報告に所見されない。単なる噂か、他所のストーンサークルの俗信が転嫁されたとも考えられる。)
▨ 「巨石には、セクシャル・パワーがある。」
乙女が「謀反の騎士」の巨石を夜中に訪れ、耳を澄ますと、未来の夫の名が聞こえる。また、子供のできない
既婚女性が石に裸の胸をこすると子宝が授かる。
なお、キングストーンは、巨大な単体の細長い形からの連想で、男性に精力をもたらす。
▨ 一年のある特定の日に、若い男女が集まり、飲めや歌えの大騒ぎをする習慣ができた。
口実を設けて、若い人々が公然と恋人に会える利点があり、これといったお咎めはなかったらしい。
▨ ストーンサークルは、魔女集会場だった。
(民間の邪教を取り締まるため、キリスト教会から「魔女狩り」の名目で迫害を受けることになった。)
▨ 魔女の化身のニワトコの木の枝を切ると、幹から血を流し、キングストーンは頭を動かす。
(ニワトコの俗信や迷信については、<寄り道コラム:ニワトコ>を参照 )
********************************************************************************
<参考文献>
"A Guide to the Stone Circles of Britain, Ireland and Brittany",
A. Burl, Yale University Press (1995), New Haven and London.
"Great Stone Circles: Fables Fictions Facts", Yale University
Press (1999), New Haven and London.
"A Guide to the Ancient Sites in Britain", J.and C. Bord, Latimer
New Dimensions Ltd. (1978), London.