<付録>カティーサーク 石橋で命拾い

 

    アロウェイ村はずれのドゥーンの石橋              アロウェイ村の廃墟の教会  
                                                 

『魔女に追われたタム』(再話)
     原作:ロバート・バーンズの詩作品 「シャンタのタム」Tam O’ Shantaより

 昔むかし、グラスゴー近くのシャンタ村に、タムという名のお百姓さんが住んでおったとさ。
その日もタムは市がはねると、行きつけのパブで飲んべえの靴屋のジョニーと気炎を上げておりよった。
夜も更け、家で待つ女房の角の長さも気になり出し、あいにく雲行きも怪しくなってきたところで、
やっとこさタムは、ふらつく腰で愛馬マギーに跨がり、家路を急ぎおった。
 アロウェイの村外れにさしかかる頃には、雷さんも鳴りだしたと。
ふと見ると、荒寺には煌々と火が焚かれ、折からの稲光と相まって、まるで炎のようじゃった。
バグパイプの笛の音と共に、どうやらドンチャン騒ぎがおこなわれて居るようじゃ。
タムは怖い物見たさから、お酒の勢いも手伝って、大胆にも馬を降りて、こっそり覗いて見た。
炎に照らし出された光景は・・・悪魔の吹く笛にあわせて、魔女や亡者らが踊り狂っておるではないか!
その不気味な妖怪どもに混じって、際だって踊り上手な若い魔女ナニーにタムの視線が止まった。
ナニーが身にまとっているのはカティーサーク*だけ !!
ナニーの妖艶な魅力とリズムに引き込まれ、タムはつい我を忘れて、かけ声をかけてしまったのじゃ。
「ええぞ、カティーサーク!」
一瞬にして辺りは闇。ゾーとしてタムは我に返り、すぐさま駿馬にムチをあて、一目散に逃げ出した。
 じゃが、人間に見られたと知るや、妖怪どもは、一段となってうなり声を上げて、追いかけて来よった。
魔女や魔物どもは水を恐れ、川を越えることができんことを思い出したタム・・・。
せめてドゥーン川の石橋を渡ろうと、脇目もふらず必死に馬を駆り立てた。シャンタ村はもう目と鼻の先。
ところが魔女のナニーはまさに疾風のごとし。
橋にさしかかったところでマギーに追いつき、その尻尾をしっかり捕らえたのじゃ。
これはいかんと、マギーは最後の力をふり絞って一蹴。とたんに尻尾は元からポキリ。
すんでのところで獲物を取り逃がしたナニーの手には、灰色の尻尾が残っただけじゃったとさ。
さても、酒と女の誘惑には、タムの牝馬を思い出すのが良い薬とな。 

        註 *カティーサーク: スコットランド語で、短い下着のシュミーズの意味。

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ロバート・バーンズ Robert Burns (1759 ~1796)

詩人プロフィール

♦ 「スコットランドの国民的詩人」と謳われ、今でも国民から愛されている。
   ローマン主義の先駆け。

♦エアシャー アロウェイに生まれる。幼少より人一倍感感受性が強く
   感情を率直に表現することに優れており、言語感覚がシャープだった。
   特段の教育も受けずに、農作業の傍ら巧みな情緒表現で詩作を続け、
   次第に庶民の人気を高めたものの、農業は振るわず生活苦に追われた。

♦ 29歳(1788年)、ダンフリーズにて税務官の任務に就く。若い頃からの無理がたたり、
    持病のリューマチ性心臓疾患が原因で他界。享年37歳。

♦ 作品は歌謡、短編詩が多い。代表作: “Auld Lang Syne” (「蛍の光」の原曲)
                   “ Coming through the Rye” 「麦畑」 など。

『シャンタのタム』創作の背景

♦ 初出1791年4月。
  名所旧跡案内書『スコットランド故事』のアロウェイ古教会の挿絵への添書きの依頼に応じた。

♦ 9歳の時に聞いた地元のエピソードを思い出して、インスピレーションの赴くままに創作。

♦ “カティーサーク” = スコットランド語(ゲーリック)で、短い下着のシュミーズの意味。

   付記: tam-o’-shanter : タマシャンタ帽。スコットランド農民が愛用する大きなベレー帽。
       内側にポケットがあり、貴重品などを保管できる。

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カティサークの船主像: 手には馬の尻尾に見立てたロープがある        ナニーに追われるタム(帆船内の絵)

快速帆船(クリッパー)「カティ―サーク」

♦ 1869年 グラスゴーにて進水。 1880年頃まで中国貿易に携わった。

♦ 19世紀半ばからヨーロッパで盛んになってきた喫茶の習慣により、中国茶輸入の気運が高まった。
  インド茶が開発されたのは、19世紀半ば以降だったので、それまでは、中国から半発酵茶が帆船で輸入されていた。

♦ クリッパーには当時、船足の速さを想起させる命名が行われていた。
  新造のクリッパーが疾風のごとく走るために、魔女の呪力にすがって、「カティーサーク」と命名した。

♦ スエズ運河が開通したことで、第一線から退き、他のマイナーな航路で従事した。

♦ 1954年、グリニッヂに永久繋船し、保存。 1957年エリザベス女王により除幕式が行われ、一般公開。  

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<参考資料>  「ゴグ・マゴグ: 英国の伝説と歴史の接点を求めて」黒田千世子 近代文芸社 1994年 

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