11A ストーンヘンジ 「巨人の輪」

ストーンヘンジの伝説その1:ジェフリーの伝承: マーリン、「巨人の輪」を組み立てる

< ストーンヘンジ建造の経緯については、ブリトン人の魔術師マーリンが術を弄して、アイルランドから運んできたものとの伝承があります。神話伝説と歴史を混同し、反サクソンの傾向があり、現代人にとっては突拍子もない話なので、心の準備をしてご覧ください。

 5世紀の末、英国が蛮族の侵略に悩まされていた頃のこと、ヴォーティガンは、卑怯な手段で、こともあろうに侵入者のサクソン人を助人に招いて、まんまと王位に就きました。今は亡き先王コンスタンティンの二人の若い息子、アウレリウス・アンブロシウスとウーサー・ペンドラゴン(アーサーの父)は、危機一髪、フランスのノルマンディー地方のブルターニュに難を逃れ、その地で立派に成長されました。

 兄のアウレリウスは、勇猛で戦い達者の武人として聞こえが高かったばかりでなく、義理に篤く、キリスト教への信仰心が深く、強い正義感の持ち主でした。その武将としての誉れはブルターニュにいる頃からすでに海を渡ってサクソン人の耳にも達していましたから、「アウレリウスのブリトン軍いよいよ挙兵」との報を受け、サクソンの大将ヘンギストは、将来に備えるため、兵をまとめて一時、ハンバー川の北方へ退却してしまいました。

 復讐に燃えたアウレリウスは時を移さず、大軍を率いて北上し、ついに宿敵どうし合いまみえることになったのです。当初は両軍互角の戦いをしていましたが、わずかな采配の差が、勝敗の運命を分け、ブリトン軍の大勝利に終わりました。アウレリウスは即座に国土の復興にとりかかり、異教徒により廃されていたキリスト教会の再建と自らの戴冠式を済ませました。

 さて、現在ソールズベリー平原と呼ばれる地には、戦死した王族や名だたる武将が仮埋葬されておりました。彼等の霊を弔い、祖国ブリテンに捧げた闘魂に感謝するためにも、是非とも立派な祈念物を建立したいと新王は願っておいででした。そこで、預言者マーリン(当時はドルイド僧と見なされていた)を召喚することになりました。

 「高貴な方々の墓所として永久に残る建造物を、とのたってのお望みなら、隣国アイルランドのキララウス山 (註1)にある『巨人の輪』(the Giants’ Ring) を移されてはいかがでしょう。かの地にあるその石造物は、規模といい、形といい、とても人間業とは思えぬ驚異の代物で、きっと陛下のお気に召すことでありましょう。」
 アウレリウスはそれを聞いて嘲笑しました。「人間業ではできない代物をいかにして運んで来ようと言うのか?それに、大石ならわざわざ隣国まで行かずとも、我国に幾多もあるではないか」
 「陛下、お疑いはごもっともでございますが、『巨人の輪』の建材はただの大石ではございませぬ。昔から不思議な力を備えていると伝えられ、確かに薬効や治癒力がございます。その昔、巨人が遥かアフリカの地からアイルランドに移り住んで来た時に、特別に持ち運んで来たのであります。石の稀有な効能は、すでに確かめられております。例えば、巨石の上に流した水を浴びると、病気が治り、怪我が癒えると言われておりますし、石に浸した水に薬草を混ぜ合わせると、どんな病気や傷でもたちどころに治ってしまうほどの効き目を持っております。」

 それを聞くと、国王ばかりでなく周囲のブリトン人は『巨人の輪』が咽から手の出るほど欲しくなり、たとえ戦いに及んでも、力ずくで持ち帰ろうということになりました。アウレリウスは弟のウーサーを指揮官に命じて、15,000人の兵を授け、マーリンを顧問に付け、特捜隊としてアイルランドへ送り出しました。

 当時、アイルランドの統治者は ギロマニウス という若輩ながらも勇猛果敢な支配者でありましたが、両軍合いまみえると、力の差は歴然としており、ウーサーはあっけなくギロマニウスを蹴散らし、ブリトン軍はキララウス山にやすやすと到着することができました。眼前にみる『巨人の輪』は、青灰色に異彩を放つ巨大な石材がそれぞれ精巧に削岩され、全体として見事な円形に組み合されていて、見る者を圧倒するばかりか、滲み出る神秘的な美しさは不思議と敬虔な気持ちにさせました。

 マーリンはブリトン兵に指令を与えました。「力の及ぶ限り、技の成せる限り、総力を結集して解体作業に取り掛かれい!」 一同、梯子、綱、支柱、てこなど持てる道具を駆使して解体を懸命に試みたが、「巨人の輪」はビクともしません。しばらく黙って、彼等の悪戦苦闘ぶりを見ていたマーリンは、ついにその滑稽な有様に笑いをこらえ切れず、爆笑に及び、単身、代わって作業を引き受けたのです。最小限度の小道具を適所に設けると、どんな念力を使ったのか、あれよ、あれよという間に終了してしまったのです。 解体した石材は、陸路、海路を搬送され、ついにソールズベリー平原へと無事移送されました。

 聖霊降誕祭の日註2、アウレリウス王は厳かな儀式を執り行いました。王侯貴族や高僧が集う中、武人の論功行賞を行い、聖職の新規任命を済ませ、国家支配体制を揺るぎないものとしました。 その日の最大の催し物は、「巨人の輪」の組み立てでありました。一同息を潜めて見守る中、マーリンは棺の周囲に巨石柱を次々と手際よく建立し、最後にまぐさ石を上部に環状に連結すると、キララウス山にあったそのままに、びくともしない堅牢な巨大葬祭祈念物が完成させました。これが、ストーンヘンジとして今に知られる巨石遺構の幻想的成り立ちと伝えられております。

 何年かの後、建造を命じた当のアウレリウスのみならず、その後王位を継いだ弟のウーサー・ペンドラゴンの両王とも敵の毒殺により命を落し、「巨人の輪」の中に葬られ、今に至っております。

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註1:  ジェフリーがキララウス山 と述べている山は、実はキルデア州ナース近郊のウィックロー山地のこと。1188年にアイルランドを訪れたウェールズのジェラルド・カンブレンシス師著『アイルランド地誌』(GiraldusCambrensis:The Topography of Ireland, 1222)に「巨人のダンス」の記述があることで判明している。師はダブリンからの旅の途中、キルデア郡に入り、ウィックローの石柱と呼ばれる高い石柱が散在している荒地を通過した時、そのスケールに驚嘆した様子を正直に書いている。

註2: ペンテコステ(5旬節)とも。復活祭から50日目。5月末~6月始めの日曜日。

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附記: 前述の伝説の原典ジェフリー・オブ・モンマス著『英国国王列伝』の歴史的背景について紹介しよう。
 ジュリアス・シーザーは紀元前55年に、ケルト人(ブリトン人)の住むブリテン島に上陸した。その後、ブリテン島は、紀元一世紀初め頃から、ローマ帝国の属国としてローマの支配下にあった。ところが、5世紀になるとローマ本国が度重なる蛮族の侵略を受けるようになって、早々とブリテン島から撤退してしまった。  

 紀元410年頃から、アングロ・サクソンの小王国がボチボチ姿を現す600年近くまでは、アングル人、サクソン人やジュート人のひたひたと寄せ来る侵寇のため、混乱は甚だしかった。この期間は“暗黒時代”と称される。 

 一方、劣勢にあった先住民のブリトン人(英国ケルト人)側には、この空白を埋める記録があり、年代記としてまとめられた。それはキリスト教活動の賜であり、キリスト教の僧侶がラテン語で書いた記述だった。現存する作品は、二つ。 (1) ウェールズ人僧侶ギルダス著 『ブリテンの滅亡について』(540年頃執筆完成)、および
(2) ウェールズ人僧侶ネンニウス著『ブリトン人の歴史』(829年頃執筆完成)。  

 アングロサクソン人を仇敵役にしたこれらの“歴史読本”が、数世紀もの後に再び注目されるようになったのは、1066年のサクソン王国を滅ぼしたノルマン征服により、イギリス国土に反サクソン精神が甦ったためだ。アングロサクソン人を共通の敵として戦ったことで、ノルマン人は、昔のブリトン人に親近感・共通性を見て取ったのだろう。(皮肉にも、侵略者は取りも直さずノルマン人自身だったのだが・・・)征服王ウィリアムを伝説の英雄アーサー王になぞらえ、多少とも時の朝廷に忖度して執筆したのが、ウェールズのモンマス所轄の僧侶ジェフリーの著した『英国国王列伝』(1154年頃)であった。イギリスの建国神話から説き起こし、6世紀のアーサー王終焉までを扱っている。

 同書は中世に “真実の歴史書” として誤って伝わっていたことから、騎士道華やかなりし頃、その内容がイギリスを始めヨーロッパの文学にまで与えた影響は大だ。しかしながら、繰り返すが、同書は歴史書ではなく、説話物語なのだ。内容の信憑性や登場人物の実在性については、そのまま受容することは問題がある。そして、ジェフリーはキリスト教の聖職者であったので、親ローマ、反アングロサクソンの立場から随所に偏見がみえる。

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<参考資料>
"The History of the Kings of Britain", Jeffery of Monmouth,Penguin Classics (1988 Reprinted), Penguin Books, London.
"The Topography of Ireland" translated by Thomas Forester, Revised and Edited with additional notes by Thomas Wright、
   "XViii Of the Giants’ Dance", which was transferred from Ireland to Britain  (電子版)

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