21E 蹄鉄伝説の由来

荒廃したウェイランド鍛冶屋 (左)1738年のスケッチ(F. Wise)。土盛りが残っていた。          (右)1937年当時、復元前。(English Heritage による)

キップリング著ウィーランド鍛冶のお話   

 丘の麓の窪みの芝に座った子供達は、瞳を輝かせて話に聞き入っていました。妖精パッ クは、得意気に語り続けます。 「イングランドに来てからは何百年間も、ウィーランドは人 が恐れる大神だったんだ。国のここかしこに神社があって、人々は犠牲を捧げたものさ。 本当は、ウィーランドは人間よりも威勢のいい馬の方が気に入っていたんだけどね。でも 僕は、昔の神様のようにいずれは落ち目になって、だめになるだろうと予言したのさ。勿論 ウィーランドは目を血走らせて怒ったけど。 それから何百年も経ってからのことさ、浅瀬のそばの大石の陰の仕事場でウィーランド に会ったのは。皮のエプロンをかけた白鬚の爺さんが、樫の木陰から現れて、蹄鉄を打ち始 めたのを見て、僕がどんなに驚いたことか! 

   ウィーランド『ワシが祭壇に祀られていた頃にゃ、こんな老いぼれ馬なんぞ貢がせはしな かったもんじゃ。
         ところがどうじゃ、今では1ペニー銅貨のために蹄鉄を打たせてもらって喜んどる始末さ。』
   パック    『ヴァルハラ(神々の天空)には戻れないのかい?』  
   ウィーランド 『お前さんは覚えておるじゃろうが、ワシはその昔、人民にとっては決して慈悲深い神では
         なかったからのー。人間の誰かが、ワシに優しい言葉をかけてくれて祝福してくれないうちは、
         この身分から解かれないのじゃよ。』    

「その後、ある心根の優しい小坊主さんがウィーランドの仕事にお礼を言って祝福してくれたもので、やっと鍛冶屋から解放されることになったんだ。その恩返しに、素晴らしい 名刀を鍛えて小坊主さんにプレゼントしたのさ。それから僕はウィーランドがイングラン ドを去るのを見届けてやったんだ。ヴァルハラに帰れたんだろう。」

    (ラドヤード・キプリング著「プーク丘の妖精パック」『ウィーランドの刀』より  筆者再話)

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 「指輪物語」のホビット(小人)の住居として有名になったが、丘には小人や妖精が住んでいるらしいとの古くからの伝承がある。ケルトにも妖精伝説はあるが、ここではゲルマン神話の流れを汲む地下に住む小人に手がかりがありそうだ。彼らは、地中の鉱物資源を採集して加工し、金銀の宝飾品や刀剣や道具までも作り出す優れた鍛冶の技を編み出したと想像されている。人々にとって、それは、まさに魔法であった。ここの長形墳丘が小丘の上にあり、巨石で囲まれた入口は、地中へ通じる洞穴の入口のように見え、古墳が鍛冶屋の作業所と想像されたのも納得がゆく。
 だが、それならば他の墳丘にも似たような伝説があっても良いはずだが、大した言い伝えは残っていない。では露出説はどうか。ウェイランド鍛冶屋の周囲のブナの防風林の植樹は1950年代の学術的発掘以後になされたとのこと。それまで何千年もの間、古墳は吹き曝しの丘頂にあった。サクソン人が渡来してきた5~6世紀当時、墳丘が低くなり、石室の構造が部分的に剥き出しになっていた。巨石や石積の様子から、見る者に洞穴や地下迷路を連想させたのだろう。
「ウェイランド鍛冶屋」の名が記された最古の記録は、イングリシュー・ヘリテッジに拠れば、855年のサクソン古文書バークシャー憲章(Berkshire Charter)とのこと。また、一般人が手にできる最古の図は、1738年フランシス・ワイズ師著「バークシャーの遺跡に関するミード博士への書簡」(上の図参照)だ。荒廃した古墳が、ところどころ岩を露出させた姿を呈している。

 アングロ・サクソン諸族の侵入後、400年ほどの混乱の時期が過ぎ、やがて10世紀末ともなると、サクソン人の王により南イングランドが統一されて平和が訪れた。住民は大方すでに先祖のゲルマンの宗教を捨て、キリスト教化されていた。ゲルマンの神々は優位に立ったキリスト教の思想体制の下で、格下げや排斥に会うという憂き目をみる。異教の神々や英雄たちは神性を剥奪されたり、崇敬から蔑視へと評価を落とした。わずかな小銭のために蹄鉄打ちをするウェイランド(ウィーラド)の話は、キリスト教思想が社会の規範として確立した時代に醸成されたことは疑いもない。かつての人々の尊敬や憧れの片鱗さえ覗えない卑しい身分にウェイランドを遇しているのは、アングロ・サクソン古来の宗教観がすっかり希釈されてしまったことを如実に示している。

 では、なぜ蹄鉄打ちのみを専業としていたのだろうか。金、銀、刀剣、器具など専門分野に分かれた鍛冶職の中でも蹄鉄の鍛冶職は、威信序列では最下位にある。重要な要因は、最寄りのアッフィントン白馬 (Uffington White Horse) の丘絵だ。白馬の製作伝説に、サクソン人のアルフレッド王が871年にデーン人を破った戦勝記念に丘に白馬を掘らせたものとの説(実は、それよりも千年も古い)があるくらいだから、サクソン人と白馬の因縁は浅からぬものがある。先住民族のブリトン人と同様に、ゲルマンの宗教でも白馬は神の使者であり、神の象徴であった。
 隣接するウォリックシャーのタイソー村(Tysoe, Warrickshire)はアングル人が開拓した村で、ゲルマンの武神チル (Tyr, Tiw。Tuesdayの語源) の信仰の中心地であった。村を見下ろす丘に赤馬の丘絵(土壌が赤土)を掘ってチル神に捧げた。武神チルには本物の馬の犠牲が捧げられた記録がある。作家キプリングが童話の中で、ウィーランドが祀られていた頃、馬を犠牲として捧げたとしているが、実際にはチル神であったはずだ。また、キプリングはウィーランドを鍛冶の神としているが、あくまでも文学上の設定であって、一般には、ウェイランドには神性が認められてはいない。従って、蹄鉄伝説は、ゲルマン民族馬信仰へのかすかな余韻のようなものと思える。丘絵の馬を神の象徴として崇めていた時代が過ぎ去り、キリスト教の影響下で、異教の英雄をできるだけ卑しい身分へ貶めようとの意図が透けて見える。

 最期に、蹄鉄打ちの伝説が生まれた時期を、もう少しに詰めてみたい。異教追放のための過激な宣伝効果を狙った険しい語調ではないから、キリスト教の布教にやっきになっていた時期ではなく、むしろしっかりとその思想が根を下ろしてからであろう。異教の英雄を揶揄するやり口に余裕が汲みとれるからだ。
 一説には、アングロ・サクソン人の社会で一般に馬に蹄鉄を打つ習慣は、11世紀以前にはむしろ珍しかったとか。蹄鉄の歴史を調べてその裏付けを得る。蹄鉄のヨーロッパへの伝播は5~6世紀の民族大異動期に、騎馬術に秀でた遊牧民族との接触が契機になったと考えられる。さらに学術的出土例から、8世紀に比較的緩慢に普及し始めたと判明。それを踏まえて8世紀~10世紀を普及期と称し、11世紀を一般化の時期(需要期)と称している。
 ところが、イギリスへの蹄鉄の伝来は、はたせるかな、やはり大陸に一歩引けを取った。その採用の遅れが一因となり、アングロ・サクソン人の歴史に決定的な敗北をもたらしてしまったのだ。かの有名な天下分け目の合戦とも言うべき1066年のヘイスティングの戦いにおいて、ウィリアム公率いるノルマン軍は、鐙(あぶみ)と蹄鉄という新しいハードウェアを導入して、改良操馬術というソフトウェアを駆使して、騎馬隊を組織していたらしい。これは、戦闘法において、歩兵中心のアングロ・サクソン軍の戦法を遥に凌いでいた。つまり、サクソン王ハロルドの軍勢でさえ、11世紀中頃に、十分に軍馬に蹄鉄が装着されていなかったと解釈できる。勿論、蹄鉄の有無が戦いの決着を生んだとは言わないまでも、騎兵中心の新しい戦闘法がノルマン征服の大きな要因の一つであったのは事実だ。
 ノルマン人が支配階級となったあかつきには、さぞ急速に装蹄の習慣が一般化したであろう。田舎の村民や旅人までが、小銭を代価に蹄鉄を打たせる発想が生まれるのは、さらに時間の経過を必要としたに違いない。つまり、蹄鉄伝説は、11世紀~12世紀前半のノルマン人支配下のプランタジネット王朝時代に形成されたと結論できる。


 現代のイギリス文化の表層の下には、幾重もの征服民族の地層が横たわっている。バークシャー丘陵にひっそりと存続する長形周壕羨道墳「ウェイランド鍛冶屋」の文化民俗史的意義は、時代の地層を貫通縦断して、二要素が偶然に結ばれて作られたことだ。その二つとは、場所的要素の古墳とゲルマン魂を秘めた名称である。さらに、キリスト教思想の奔流に揉まれて、冒頭に示した蹄鉄鍛冶屋の伝説を残すことになった。現場の長形古墳そのものは、20世紀半ばに復元修復され、先史時代の姿に復帰したので、皮肉にも呼称の由来を覆い隠して、現代の庶民には分かりにくくなってしまった。

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<参考資料>

"Puck of Pook's Hill", Rudyard Kipling, MACMILLAN (1971), London.
"A Letter to Dr. Mead Concerniing Some Antiquities in Berkshire", Francis Wise B.O., 1738, British Library 144.b9(2).
"Wayland's Smithy", English Heritage, (www.english-heritage.org.uk/content/visit/places-to-visit/history-research-plans/walylands-smithy/),
     Retrieved 5 September 2017.
「蹄鉄」『世界大百科事典』67-68頁、  平凡社  東京 2007年


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