<流浪の歴史その4>
1950年の略奪事件
1950年12月25日に起きた事件を、盗難、略奪、奪還またはイタズラ
と呼ぶかは、事件に対峙する立場によって異なるだろう。世間を揺るが
せた事件は、1950年のクリスマスの朝に発覚した。朝6時15分、見回り
の守衛が「石」の紛失に気づき、上司に報告。イギリス中が上へ下への
大騒ぎとなったのは言うまでもない。情報提供に2,000ポンドの懸賞金を
懸けた(警察ではなく、新聞社が賭けた)ものの、行方は杳としてとしてつかめなかった。やっと109日後、
警察へ身元不明者からの密告があり、1951年4月11日、スコットランド、パースの東方の海辺の町アーブロース(Arbroath) の教会で発見、回収された。一旦グラスゴーに保管された後、2日後の4月13日、ロンドンのウェスト
ミンスター寺院へ搬送、帰着。
(参照① 2014年5月10日に収録の動画でハミルトン氏が経緯を説明。 https://www.youtube.com/watch?v=1xjrdCwHG2g
)
(参照② 2019年1月22日BBC放映の動画記録でハミルトン氏が説明。 https://bbc.co.uk/search?q=stone+of+Scone&page=1
)
事件の真相が政府によりウヤムヤにされ、しかも実行犯(20歳代の学生4名)、共犯者(4名)、首謀者(1名)らが、口をつぐんでいたことが、噂の広まる素地を提供した。犯行の経緯は、おおよそ次のようだ。若者等はウエストミンスター寺院寺院に忍び込み、まんまと「石」を持ち出すと、ケント州の野原に一晩放置した後、スコットランドのグラスゴーへと車で運搬した。グラスゴーでは、実業家ジョン・ロロー(John
Rollo)(当時50歳)の工場に隠された。そこには、事件関係者の一人で、議員で石工のロバート・グレイ(Robert Gray) なる人物もいた。
グレイは、すでに20年も前の1929年に、「スクーンの石」のレプリカを製作していたほど「石」への思い入れが深かった人物。
ここに、グレイが事件に参画した重大な意味がある。一説に、1951年4月にアーブロースの教会で発見された
「石」は、実はグレイの製作したレプリカの一つだった、という筋書きに仕立てる腹。13世紀末に続いて、20世紀半ばに再びスコットランドからロンドンへ運ばれた「石」は、またまた偽物であった! もし本当であれば、スコットランド愛国者にとっては、何とも胸のすく話ではないか。
一方、厳しい護衛を伴ってウエストミンスターに戻された「石」は、行方不明の3ヵ月の間に、相当手荒く扱われたらしく、破損や割れ目が認められ、それらの傷跡が痛々しかった。先ず、戴冠椅子から取り出す際に、寺院の石の床に落とした衝撃で、後部右角部分がポッキリ割れてしまった。3ヶ月後に、石工のグレイの手で、石片は接合されたとのこと。さらに、運搬途中で、車の荷台から道路に落ちてしまったり、運搬の際にも、重量のせいで、相当手荒く扱われた。それらの繰り返された損傷の事実から憶測して、実行犯の供述と回収された「石」の状況検証が、ほぼ一致していることを考えると、ロンドンに戻った「石」は偽物であるはずはなく、本物であったことを裏付けている。
ロンドンに回収後、1951年4月~5月にかけて、「石」の帰属問題について、世間ばかりか国会での議論が喧しかった。つまり、「石」の正式な所有は英国君主なのか、ウェストミンスター寺院なのか。 さらには、スコットランドに「石」を返還すべきか、それは、いつが適切か、等々。スコットランドへの返還の時期については、事件後間もないと、盗難事件の容疑者等を正当化したことになるので、ほとぼりが冷めるまでは、ロンドンに留め置くというハイレベルの政治的な結論になった。
肝心な容疑者グループについての捜索については、事件の背後に、身分の高い大物が絡んだ微妙な問題があり、穏やかに政治決着されたようだ。警察の発表は歯切れが悪く、すっきりしないものだった。グラスゴー大学の4人の学生によるイタズラだったという表向きの結論で、彼らは不起訴となり、事件は驚くほど穏便に決着した。事と次第によっては、寺院に押し入っただけでも「不敬罪」になったはずだし、戴冠椅子を壊して「石」を持ち去ったのは「窃盗罪」になったはずだし、さらに言えば、スコットランド独立運動をバックアップする意図が判明すれば、「反逆罪」になっていたかもしれなかったところだった。
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