36ラッパ石

                   キングストン・ライルにあるラッパ石                  

 「ラッパ石はその昔 王の進軍ラッパなり・・・」と民謡に歌われた有名な笛吹き石は、アルフレッド大王とのご縁が深うございます。侵略軍デーン人相手に、王が勇敢に戦っておられた頃のことでございます。火急の襲撃を知らせるために、このラッパ石を吹かせて、近郷近在から兵を招集したそうです。平時には、王の狩笛として使用されたともいわれます。サクソン王国の揺籃期(9世紀)には、平時の兵数は僅かで、王の身辺警護程度であったそうです。普段は農民であった人々が、いざ鎌倉という時には武装して、おっ取り刀で馳せ参じました。領民から絶大なる信頼と尊敬を受けてきたアルフィー王なればこその伝説でございますねェ。

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所在地:  オックスフォードシャー、キングストン・ライル(Kingston Lisle)の村外れ。
      (キングストンとは、「王」と「石」が合体した地名。)
     「ラッパ石丘」(Blowing Stone Hill)の麓。
        鄙びた民家の前庭の一角を板柵で囲って保存。

岩石:   薄茶っぽい灰色のサーセン石(硬質の砂岩)。見た目の高さと幅約1m、奥行き約60cm。
      でこぼこの表面には幾つもの小穴が開いていて、「海綿の化石」のよう。
       外からは見えないが、内部にY字形の気孔が自然に形成されているため、この穴から息を吹き込むと
      大きな音が出る仕組み。

附記: 19世紀後半のこと、クーパー・キング(Cooper King) がアルフレッド王伝説を一蹴した。彼に依ると、いかに緊急時といえども、サクソン王は兵を召集するのに、原始的道具に頼る事はあり得ない。すでに発見されている出土品と比較してみても、サクソン時代の技術は高かった。しかも、この石の大きさでは、運搬が困難である。
 では、ラッパ石が使われた歴史的可能性は。 キングの主張では、「青銅器時代のケルト人部族は、丘陵の広い地域に散在していたので、放牧者農耕者全員を家畜、家財もとろもアッフィントンの堅牢な塁城内に収容させるのに、この粗製ラッパが役立ったとも考えられる」と。
 この辺りの丘原には、ケルト時代の古い耕作地や放牧地の跡が航空写真で確かめられている。
バークシャー丘陵はサクソン文化の中枢でありながらも、ケルトの足跡が色濃く残されている地帯だ。

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余録: トマス・ヒューズは小説の中で、ラッパ石を「ネズミの巣の化石」と呼び、ブン、ブン、ブゥォ~ンとの腹に響く大音量を、「呻き声とも唸り声ともつかぬ陰鬱な音で、谷を渡り、丘を越え、森の中へと響き渡る恐ろしいものの怪の悲鳴のようだ」と描写している。鍛えられた肺活量の持ち主なら、牛の鳴き声に似た音を出す事ができるそうで、10km先のファリンドンの教会でも聞こえたとか。
 さらに、ヒューズによれば、ここは以前に鍛冶屋であり、主人が丘からこの巨石を運んできて仕事場に置いたそうだ。小説を書いた頃(19世紀半ば)には、『ラッパ石亭』(Blowing Stone Inn)という旅籠になっていた。今では、パブは村の中心に店を移している。

       現在の「ラッパ石亭」パブサイン           昔の「ラッパ石亭」前(1858年)       ロカリッジ・デンに転がっているサーセン石


 ところで、硬質といわれるサーセン石に一体どうして自然に穴が開くのだろうか。点滴石を穿つ、の諺通り、水の力によるものなのか。一つの可能性が考えられる。その答えは、キングストン・ライルから26km南西に在るロカリッジ村(Lockeridge)にあった。村の南にナショナル・トラストが所有している小さな草原があり、その名もロカリッジ・デン「獣囲い」(Lockeridge Dene)。その囲いの中には灰色の羊がここかしこに横たわっていると言いたいが、実は生き物ではなく、灰色のサーセン石がゴロゴロしている。草原に足を踏み入れて観察すると、いくつかの石は見事に虫食いだらけで、中には30cmにも及ぶ大穴が開いているものも見つかる。
 看板の説明によれば、その昔、椰子が石に根付いて生長するに従い、その根が硬いはずの石を侵食し、蝕んでいった。やがて椰子の木は老木となり朽ち果ててしまい、影も形もなくなってしまう。サーセン石に開けられた幾つもの穴は、その歴史的事実の証人だ。この寒冷の英国に熱帯性の巨木の椰子が棲息していたことから推して、氷河期後に地球がかなり温暖化した紀元前12,000年ころの生態活動と考えられる。サーセン石は建築材としてはかなり硬い石材で、ノミの刃をこぼすほどであるが、地元民は、保存される前に比較的穴の少ない石を自由(勝って)に使って頑丈な家を建てた。大穴の開いた石が、無用の長物として草原に取り残されたのは、幸いなるかな、椰子の岩盤。
 ラッパ石の数ある小穴がどうやってあけ開けられたのかは、誰にも分からない。ラッパ石の内部のY字形の穴は、水の力というよりもやはり、植物の根の穿った業に相違ない。ただし椰子ほど大きな根ではなく、案外、か細い植物かもしれない。さすがの硬質砂岩もひ弱な植物の根の威力に勝てなかった。柔よく剛(硬)を征す。

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<参考資料>

アッフィントン村「トム・ブラウンの学校博物館」諸資料。(Leaflets & publications presented by “Tom Brown’s School Museum”,
     Uffington, Oxfordshire.)
"The Scouring of the White Horse, Chapter VI", T. Hughes, MacMillan and Co.(1858), London.

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