03日英文化の違い

              ミッチェルズ・フォルドの立石                    毛越寺庭園から (garden-guideより)

 

 

 

 

 

 

日英の石文化の違いを考える

 アジア大陸の東端にある日本とヨーロッパ大陸の西端にある英国は、対極として、文化比較する研究は数えきれないほど行わ
れてきた。お互いに、大陸との類似の地政的関係から比較対象となるのだろう。筆者はかねてより日本は「木の文化」で英国は
「石の文化」との認識から相違点に興味を持ってきた。当サイトでは、英国の「石の文化」を正面切って建築・土木的視点から
ではなく、「石」のソフトな一局面である 英国の伝説・迷信・言い伝えに光を当てて、英国の精神文化的特質を考えてみたいと
思ったからである。この分野は、本道を歩む英文学者や民俗学者から異端視、敬遠されたニッチ研究分野でもある。  

 現代の日本でも、いわゆる「パワーストーン」や「パワースポット」がもてはやされ、特別な粗石や貴石、特定の地点が持つ
不思議な力に引き寄せられる人々が少なくない。文明が高度に発達した21世紀でさえ、神頼みや霊力を疑いながらも信じて
わけだから、いわんや1000年も2000年も昔の善良純真無知な庶民が、神聖な呪いや悪魔の呪力を信じたのは無理からぬ
ことだった。  

 日本伝統の造園様式として枯山水は芸術的評価も高いことから、庶民レベルでも、巨大な自然石を美観を目的として庭に配置
したり、公の場所で石碑として文字を刻印したりする習慣がある。一方英国では、石を建材として用いる時には、必ず、表面を
加工して形を整えた上で、石組や敷石として使用する。採石したまま、山から運んできたままの自然石は、〝野蛮″との印象を
与えるからだ。巨大な自然石は、平原に放置され風化した先史時代の遺物 --- 単独の巨大立石 (メンヒル)、ストーンサークル、
古墳の石組(ドルメン) --- を想起させる。いわんやそれらを、庭に運び入れるのは、美的どころか、言語道断なのだ。石にまつ
わる不吉な呪いや不幸な予言をわざわざ背負い込むことになるかもしれないからだ。これが、文化の違いというもの。  

 英国には、そのような巨石遺構が一説には900~1000ヵ所も存在し、奇妙な伝説がまつわり付いているものも多い。巨石
建造物の多くは、新石器時代から青銅器時代初期(紀元前4000年頃~1500年頃)に造成されたもので、その後伝説が生まれた
のは、何百年も何千年も経ってからのことになる。 その間に、多くの時が流れ、民族の入れ替えさえあった。つまり、 巨石
建造物を造った人々と伝説を形成した人々は、全くつながりがなかったということだ。 往々にして、新石器時代の人種や部族
は、気の遠くなるような時の闇の奥に消えて、例えば使用していた道具に因んで「ビーカーピープル」としか呼べ ない有様だ。
今でこそ、考古学の研究業績から、巨石建造物は、宗教施設や 集会場や 埋葬地などとして使用されていたとの研究報告がある
が、古代や中世の人々にとっては、それら遺構の正体や使用目的は、想像を絶した不可解な謎であり、恐ろし気な構造物でしか
なかった。それは、巨石遺構が破壊されたり風化したりで、完全な形で残っていなかったから無理からぬことだ。 後続民は、
我流の理屈や価値観(キリスト教の正邪の価値観など)を既存の石造遺構に当てはめて都合よく解釈した結果、伝説や迷信が
生まれた。言い換えれば、伝説や迷信が作られたのは、巨大遺跡に対する数々の疑問 ----- 誰が造ったのか、どうやって造った
のか、どういう理由で造ったのか、巨大な石をどこから運んできたのか、など ----- に答えるための往時の人々の究極の釈明方法
であったのだろう。

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