飛翔し、島を離れるヴェールンド
(出典:"The Faber Book
of Northern Legends" p.119)
北欧伝説:鍛冶ヴェールンド
ある日、和らいだ日射しに誘われて、三羽の白鳥がフィヨルドの奥深い湖に
飛来しました。樹林の際の狭い岸に舞い降りたかと思うと、たちまち麗しい
乙女の姿に変わりました。纏っていた 白い羽衣を傍らに置き沐浴に興じる娘
たちは、実はワルキュリエ。
折から、狩猟の三兄弟、垣間見しなにすっかり心を奪われてしまい、乙女
が白鳥の姿に戻らない ように、とっさに羽衣を隠して、渋々結婚を承諾させ、
人間界に留まらせました。とりわけ末弟 の鍛冶ヴェールンドは新妻を深く愛
しました。 鍛冶の腕にも研きがかかり、精巧な酒杯や飾り物、鍛え抜かれた
刀剣や武具に至るまで、匠の名は遠く周囲の国々まで知れ渡たのです。
九年経ったある時に、ふとしたことで羽衣を取り戻した妻たちは、ワルキュ
リエとして いずこともなく飛翔し去り、ついぞ帰っては来ませんでした。
悲嘆に暮れながらもヴェールンド は仕事場に残り、妻の帰りを待ちわびました。
かねてより宝を狙っていた隣国のニヅッド王は、兵を率いてやってきて、
貴重な作品を奪った 上に、ヴェールンドを力づくで連れ去ったのです。王は
逃亡防止としてヴェールンドの脚の腱を 絶ち、離れ小島に隔離しました。
ヴェールンドは密かに復讐を誓いつつ、王のために鎚打つ日々。遂に好機
到来。好奇心に惹か れて二人の王子がこっそり鍛冶の小島を訪れたのに乗じて、言葉巧みに鍛冶場に誘い、王子たちを亡き 者にしました。頭蓋骨で酒杯を作り、
ニヅッド王への贈り物。歯と眼球を加工して首飾りを作り、 これは王妃への
プレゼント。 しばらくすると、腕輪の修理に王女がやってきました。優しく
薬酒を勧め、眠りに落ちたその隙に操を奪い、屈辱を与えました。
念願の復讐を遂げ、心晴れたヴェールンドは、浜で少しずつ集めた鳥の羽で密かに仕立ててお いた翼を装着し空へと
舞い上がり、囚われの地獄の島を離れました。無力な男の唯一可能な脱出策だったのです。
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人間と白鳥の愛を描いた物語というと甘美なメルヘンと思いがちだが、ヴェールンドの北欧伝説は、おぞましい復讐話である。「羽衣」や「鶴の恩返し」などとは比べようもないほど、残酷で手加減せぬ厳しい態度が率直に示されている。主人公の深い怨念と徹底した執念は、残酷すぎる形でしか表現できなかったのか。もともとゲルマン神話は、ギリシャ・ローマ神話の陽性/楽観性と相容れない、陰性/悲観性の特徴を持っている。北欧民族を取り巻く自然環境が、その神話に一層残酷で不寛容な性格を与え、人間の醜さや暗さに焦点を当て、希望を挫く方向へ導いていったのだろうか。
ゲルマン古詩の体系的編纂をしたアイスランドの学者スノリ (1178-1241) は、「スノリのエッダ」こと「散文のエッダ」を完成させ、キリスト教会からの異教絶滅の圧力に抵抗して、民族の魂の叫びを文学として後世に残した。その後、17世紀半ばに農家の納屋からさらに古い古詩の写本が発見されたのをきっかけに、各所で見つかった古詩を集めて、「古エッダ」こと「詩のエッダ」が編纂された。現状では、第一集が神話編、第二集が伝説編を成す。「名鍛冶ヴェールンド」は、第二集の伝奇性の濃い英雄物語に属する。つまり、現存する文献では、「古エッダ」が原ゲルマン人が共有した神話伝説の祖話に最も近い資料と言える。
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<参考文献>
「北欧神話と伝説」 ヴィルヘルム・グレンベック著 山室静訳 講談社 2009年9月10日
「北欧の神話伝説 I、II」世界神話伝説体系 30 松村武雄編 名著普及会 1980年9月20日
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