31D 流浪③イングランドへの移送

<流浪の歴史その3>

ロンドンへの移送に関する史実と伝説

 13世紀末、イングランドの国王エドワード一世
(Edward I) がスコットランドへ侵攻し、相次ぐ戦い
勝利し、ついに、スコットランドの敗北が決定的に
なった。数多の戦利品のなかには、「スクーンの石」が
含まれていた。1296年、「スクーンの石」は接収されて、ロンドンのウエストミンスター寺院 に移されることに
なった。翌1297年、「スクーンの石」を収容するために 
国王の命で、特別な木製の椅子が急造された。「戴冠椅子」       (上  www.ancient-origins.net/)
(Coronation Chair) と呼ばれる椅子は、これ以降、
現エリザベス2世に至るまで、英国君主がここに坐して
戴冠式を執り行うことになる。

 当時の製造の意図は、二国の統一や融合を象徴するためと言われているが、20世紀末の「戴冠椅子」を見ると、「石」は座板の下部の枠に押し込められていて、あたかもスコットランドを虜にしてように見受けられる。椅子はスコットランドに勝利したイングランドの優位を如実に象徴しているようだ。ただ、13世紀末の時点では、ものの本によると、戴冠式に際して君主は、直接「石」の上に座る(クッションのような布を敷いた可能性はある)はずだったので、元來、座板は無く、無理やり下に押し込められたような印象は与えなかっただろう。むしろ、スコットランドの伝統を踏襲して、石に直に触れるような設計だったのかもしれない。いずれにしても1296年の「石」の没収事件は、スコットランド人にとって、これ以上の屈辱はなかったに違いない。

 さて、ここからは、伝説だが、「スクーンの石」没収の歴史的事件に際して、スコットランドの微々たる抵抗の逸話がある。「即位石」をエドワード1世の手下に易々と渡してなるものかと考えたスクーン修道院長は、ひそかに策を巡らした。かねてより万一に備えて秘密裏に造りおいた偽石を、英国兵士に恭しく渡した。本物の「石」は近郊のダンシアネン山中(Dunsianane Hill) に大事に隠されていたとのこと。ひとまず、スコットランドの面子は保たれたということか。不思議なことに、21世紀の今になっても「本物の石」が姿を現さないのは、どういうことか。隠し場所が分からなくなり、行方不明という小説さえも出ている。

 ついでながら、スペインから運ばれたり、アイルランドから携えて来られたりなどの建国神話を信奉する向きにとっては、耳の痛い検証結果が公表された。19世紀から20世紀に亘ってのことだが、「スクーンの石」の科学的検証が再三再四行われた結果、その石は、スコットランド、パース近郊の山中から産出された砂岩の石材であることが判明したことは冒頭で述べた。つまり、スクーンの地場材だったわけだ。しかも、ほぼ採掘されたままの状態ではあったものの、上下を逆さまにして使われ続けていた。前述のように、ロンドンに移管された後、「石」は削られたり、鉄具をはめ込まれたりと、かなり苦痛の手術をほどこされている。

 ウエストミンスター寺院に収容後、さらに、「石」に関する眉唾的履歴が流布された。「石」は、実は東方から運ばれてきたもので、旧約聖書に書かれている「ヤコブの枕」(ヤコブが就寝時に使用した枕)であるとか、もしくは「聖コロンバの枕」であったなどの噂だ。両説とも、耳新しく、スコットランドに在った時代には、まるで、流布さえしなかった説だ。ウエストミンスターの聖職者らが箔付けのためにでっち上げたのかも・・・。

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