10A 伝説のない世界遺産 エイヴベリー

エイヴベリー最盛期想像図               現在の外壕と外周のストーンサークルの一部
(Malone, Avebury より)   

<寄り道コラム> 世界遺産 エイヴベリー巨大環状遺構 (Avebury Stone Enclosure)


所在地:   ウィルトシャー  エイヴベリー
建造年代:  紀元前3000~2500年頃  ストーンヘンジとほぼ同時代

構造:    環状土塁(ヘンジ)  直径420m (イギリス随一の規模)
       ヘンジの周縁のストーンエンクロージャ(巨大ストーンサークル)  
                  直径 331.6m  完成時、巨石98個を使用。
                  各巨石の高さ 3.6m~4.2m(巨石は40トン超) 立石の表面は荒削りのまま。
       ヘンジの内部に2つのストーンサークル
                  北のサークル 直径98m。中心に3個の巨石に囲まれたコーヴ(小洞穴)がある。
                  南のサークル  直径108m。
       
       ヘンジの周囲の壕   元の深さ10m、幅12~15m  (現在では広がってしまい、幅20m)
       ヘンジの外側の土塁  建設当時は壕の底から土手の頂までの高さ 16~17m。
                  土手と壕は完全に封鎖された輪ではなく、4カ所の出入口で分断されている。

 

 エイヴベリーはブリテン島で最も複雑な設計を持った最大規模のストーン・サークル・ヘンジであり、労働集約規模は
トップクラス。総面積115ヘクタールは東京ドームの2.5倍。ヘンジ全体で使用された巨石の数は250個近くと見積もられ
ている。エンクロージャーと呼ぶのは、スケールが他のストーンサークルよりも飛び抜けて大きいため。 
 

  先史時代、特に馬が普及する以前の
石器時代人にとっては、徒歩以外での
有力な輸送手段は河川であった。舟と
いっても人間が乗り込む必要はなく、
筏状の漂流物に荷を乗せて、綱で土手
や岸を歩く人間や家畜が牽引したもの
と考えられる。
川幅が狭く浅瀬の多い上流では、人間
が乗り込むのはむしろ危険を伴ったで
あろう。エイヴベリーの場合、地形図
上で遺跡の分布を見ると、ケネット川
(テムズ川の支流)が開発の大動脈で
あったことが良く理解できる。つまり、
巨石の運搬に川が大役を果たした

 モルバラ丘陵奥深くに源を発する二つの
水流は、標高190mのウィンドミル丘の
麓で合流する。この丘頂には紀元前5000
年紀(中石器時代)から使用されていた
半囲壕土塁があって、防衛、交易、祭祀
など多目的に使用されていた形跡があると
いう。

 ところが、部族の繁栄に併せて拡張を
迫られた時、ここは川に阻まれて発展する
余地がなかった。農耕や牧畜技術の向上に
伴い、人口が増加し権力の集中が進ん
新石器時代になると、手狭な丘上を放棄し
て、対岸のやや平坦な台地に共同体の主機能を司るヘンジを建設しようと指導者たちは考えたに違いない。
現在エイヴベリーと呼ばれる地である。

 巨大ヘンジの造営事業と共に、5キロ川下のサンクチュアリー聖所、川を挟んで横たわる二基のケネット長塚古墳(イーストケネット古墳は、地図の右下範囲外)、そして川岸のシルベリーヒル人造丘などが総合的に整備建造されていったのだそうだ。まさに壮大な事業である。素朴な原始的道具を手に、人的労働にのみ頼った土木工事は数百年にも及んだと聞く。石器人の凄まじい活力と忍耐力に圧倒される。また、人柱を立てたり、事故の犠牲になったりと、彼等の命がけの必死さに思いを馳せると、無常の凄みがヒシと伝わってくる。


 ヘンジの南東側と西側の2つの出入口から、
それぞれアヴェニューが延びていて、ウィルト
シャーの田園を大蛇のごとくウネウネと貫いて
いる。 考古学者の見解では、他の聖域とのコラ
ボレーションを意識して、アヴェニューが設計
された可能性がある。左右の道端を規定するの
は巨大なサーセン石。あたかも物言わぬ兵士の
ように、不動の姿勢でほぼ等間隔に立っている。
左右一対で、男女を表しているらしく、細い背高
の男石と低い幅広の女石という特徴が見られる。
                               現存するアヴェニュー
 なお、エイヴベリー施設の使用目的だが、スケールの
大きさやアヴェニューの広さを考慮すると、集会・儀式用であったことに間違いないが、共同体の多人数の一般人が集結して行う催事に使用されたと考えられる。一方、ストーンヘンジは、小規模で、数々の供犠が行われた痕跡があるから、宗教指導者・支配者のみが足を踏み入れることが許されていたのかもしれない。


 エイヴベリー・エンクロージャは1000年間余り使用され、その後何らかの理由で放置されたようだ。紀元前10世紀頃からの青銅器時代~鉄器時代には、利用価値が失われたのだろうか。長い歴史の間にこれら巨石の大半は自然倒壊したのではなく、人為的に破壊されたり、埋められたり、資材利用のために持ち去られたりして、原状のまま残るは僅かとなってしまった。20世紀に入り、考古学的見地から学術的発掘が行われた上、保存修復の関心が高まった。古代遺跡として国の史跡指定を受け、周辺の遺跡も含めてナショナル・トラストとイングリッシュ・ヘリテッジの管理下になったのが1939年。1994年にストーンヘンジと共に世界遺産に登録。現在、巨大遺構の真ん中を道路が十字に走り、民家や商店や教会までが建ち村を形成している。不思議なことに、これだけの圧巻の遺跡でありながら、これと言った伝説は存在しない。

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<参考資料>

Burl, A. (1995),A Guide to the Stone Circles of Britain, Ireland and Brittany,Yale University Press, New Haven and London.
Malone, C. (1989), Book of Avebury, B.T. Batsford Ltd./English Heritage, London.
The Prehistoric Temples of Stonehenge & Avebury, Pitkin Pictorials Ltd. , Andover, 1989.

 

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