11B青銅器

   イギリスで発掘された青銅製斧 (www.flickr.com/より)           世界遺産ニューグレンジの復元古墳(アイルランド)

<寄り道コラム> アイルランドから伝播されたのは、青銅器か?


 ジェフリー・オブ・モンマスの伝承が示唆するものを考えてみたい。
 一時期広まった、ブルーストーンがウェールズから陸海路をはるばる運搬されてきたという説 (R.C.J.Atkinson) に従うと、ジェフリーの伝承は、国名の違いはあるものの、西方からストーンヘンジ(の資材)が運ばれてきたことと符号しているように思える。しかしながら、昨今の有力な学説では、ブルーストーンは氷河期の置き土産であって、この辺りのソーリスベリー平原で調達されたもののようだ。ましてや巨大なサーセン石に至っては、近郊のモルバラ丘陵産だから間違いなく地場材である。  

 それでも西方からの伝来にこだわると、実際、西方から伝来したのは何だったか? 紀元前2500年から1500年の年代から推して、石材ではなく、当時の “最新技術” であった青銅器の伝播を指していたのではないか? 当初は青銅器製品の入手から始まり、次第に青銅器の製造方法までも含めて、アイルランドから伝わったのは事実。ものの本によると、銅(のち青銅)の製造技術の伝播は、近東→バルカン半島→ライン地方→イベリア半島→アイルランドだとのこと。このルートは、『巨人のダンス』がイベリア半島からアイルランドへもたらされたとの伝承記述の一部を思い起させる。(後述のスクーンの石にも、似た発想が認められる。)また、伝播の途上発達した銅と錫の合金による青銅製法は、武器や道具としても有効性を増していた。折しもストーンヘンジ建造は巨大なサーセン石を使用し始めた頃だったので、“先進技術”の道具としても重宝されたに違いない。  

 もう一つ要点に触れておきたい。ストーンヘンジ周辺には、
円形墳墓が多数存在することはすでに述べたが、そのうち、
紀元前2000年頃造成されたと考えられる墳墓から、副葬品と
して高価な装身具やヨーロッパ各地との繋がりを示す埋葬品が
発見されている。シェルブール(仏)からボンマス(英)まで
約150㎞、ソールズベリ平原は海岸から約50㎞で、近いと言えば
近い。その豊かさは、ウェセックス地方(Wessex) が欧州大陸
とアイルランド間の交易の中継地点としての地の利を生かして、
経済活動が活発に行われていた証拠になる。この地で、政治権力
と経済力に裏打ちされた文明が開化し、“大規模公共事業”が施行
された。ストーンヘンジはその歴史の生き証人と言える。

 

 

 

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<参考資料>

"Stonehenge", R.C.J.Atkinson, PenguinBooks (1990), London.
"A Brief History of Stonehenge: A Complete History and Archaeology of the World's Most Enigmatic Stone Circle", AubreyBurl,
     Constable and Robinson (2007), London.
"Stonehenge" (https://www.english-heritage.org.uk/visit/places/stonehenge), Retrieved 21 April 2020

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